分かるはずない
- 2021.09.08
- blog
こんにちは。
鈴木一生です。
何かを
「分かる」
ということは、
全体から
ある対象物を
「分ける」
ということです。
全体を、
「あれ」と「これ」
に
分けるから、
分かる。
「あのリンゴ」と
「このリンゴ」を
分けるから、
違うものだと
分かる。
そうですよね?
つまり、
何かを分かるって、
分離させることです。
ところで。
私は常に、
全体、全てについて
語っているのであって、
部分について語っている
わけではありません。
だから、
どれだけ頭で
理解しようとしても、
「分かる」
はずがないんです。
もし、
頭で「分かった」
という人がいたら、
それは本当の意味では
何も「分かって」ない。
「分かる」時点で、
もうそれは、
全体ではなく、
部分だからです。
だから、
僕はただ、
感じ合いたいのです。
鈴木一生