行為の世界から解き放たれる
- 2022.09.28
- blog
こんにちは。
鈴木一生です。
何かを
「しよう」
とするのは常に
自我である。
「しよう」
とすることが
葛藤を生み出し
現実に歪みをつくる。
なにも
「しよう」
としなくていい。
「しよう」
とするのを手放すと
必要なことが
「起こってくる」
とわかる。
ただ
「しよう」としない
は
「なにもしない」
とは違う。
「なにもしない」
は
「なにもしない」を
「しよう」としている時点で
「しよう」と
同じことだ。
本質は
何かをする
何かをしない
という
行為の世界から
解き放たれること
にある。
鈴木一生