我は2つあり
- 2022.03.25
- blog
こんにちは。
鈴木一生です。
「我思う、故に我あり」
と言ったのは
デカルトですが。
「我思う」
思っている
主体そのものが
私である
という前提に
留まっている点
に限界があります。
多くの人は、
五感を通して
知覚している主体
すなわち
「視ている者」
が私だと
信じています。
それがあらゆる
苦しみの元です。
しかし、
どうでしょう。
その視ている者
(私)を
観ている者
(意識)が
いることに、
お気付きでしょうか。
我は、
2つあるのです。
現実を
視ている者(自我)
と
視ている者を
観ている者(真我)
です。
視ている者
と
観ている者
を同時に
生きる人が、
覚者です。
そうでなければ、
目を閉じて
眠っている
現実という
夢の中を
彷徨っている
ということです。
あえてデカルト風に
表現するならば、
「我思い、それを観る我もあり。
故に我は2つあり」
です。
鈴木一生