刺激と安定
- 2021.09.04
- blog
こんにちは。
鈴木一生です。
なぜ、
日常に新しい刺激を
求め続けるのでしょう。
新しい刺激を経験した
その瞬間には、
もう飽きていて、
次の刺激が
欲しくなるのに。
もう飽きたので、
次の変化が欲しい。
もっと違うどこかへ。
もっと、もっと。
海水を飲んでも飲んでも
喉は潤わないのと同じで、
現実に刺激や
変化を求めても、
満たされる日は
決して訪れないのに。
なぜでしょう。
それは、
自分が「飽きた」
と感じている
「変わらないもの」
という認識自体が、
自我が創り出す錯覚
だと気付かずに、
「違うものなのに、
同じものである」
と認識しているだけ。
・朝起きたのは、夜寝る前と同じ私
・いつも通りの日常
・変わり映えのしない風景
・変わらない仕事
全て、錯覚。
そんなもの、ない。
実際には、
変わらないものは
何もない。
自分自身の認識の
粒度が荒くなって、
「同じもの」と
認識しているだけ。
つまり、
生き方が雑なだけ。
日常を変えることで
刺激を得ようとしても、
本質的には
満たされません。
逆に、
日常を変えないことで
安心感を得ようとしても、
本質的には
満たされません。
そこには必ず
苦しみが生まれ、
その苦しみから
逃れるために、
さらに刺激を求めるか、
安定感を求める
ことになります。
刺激を求めることが
鈍感への近道で、
安定を求めることが
不安定への近道。
変わらないものは
何1つないこと。
変わらないと
認識しているのは、
自分自身の自我による
錯覚であること。
現実に対する自分自身の
認識の粒度を上げること。
それによって、
どこにいても、
刺激的で
安定した
「今」
を過ごすことが
可能になります。
鈴木一生