アイデンティティを手放す
- 2021.08.11
- blog
こんにちは。
鈴木一生です。
「私は私である」
という自己認識のことを
自我=エゴ
と呼びますが、
さらに、
自我が自我として
存在し続けるためには、
「私はこういう人である」
という自己認識もまた、
セットで必要になります。
なぜなら、
「私は私だ!」
と思えたとしても、
次の瞬間、
「あれ、その私は何者?」
という疑問が湧きます。
だから、
人は「自分は何者か」
という自己同一性が欲しい。
それが、
アイデンティティです。
もちろん、
大人になる過程の中で、
たくさんのアイデンティティ
が形成されます。
たとえば、
私は○○の出身者だから
私の強みは〇〇だから
私は男だから
私は前職でこういう仕事をしていたから
などなど。
でも、
自我=エゴが
本当のあなたではない
のと同じように、
アイデンティティもまた、
本当のあなたでは
ありません。
だから、
あなたがエゴを通して
「私は私なの!」
と言い聞かせ、
アイデンティティを通して
「私はこういう人なの!」
と言い聞かせても、
残念ながら、
生きる上での
真の安心は、
一向に生まれません。
なぜなら、
エゴは全体から分離した
個別の意識であって、
アイデンティティはあくまで、
あなたのこれまでの経験や学習を
基にした認識でしかないからです。
私たちはみな、
「自分が何者なのか?」
「自分たる所以はどこにあるのか?」
が少なからず
気になるはずですが、
「私は私である」
という自我=エゴも、
「私はこういう人である」
というアイデンティティも、
それらの問いに対する
答えは与えてくれません。
「自分」「私」というものに
囚われているうちは、
真の心の平安は
決して訪れないのです。
鈴木一生