手放すということ
- 2017.12.21
- blog
会社を辞めて、早いもので、
3ヶ月が経とうとしている。
そろそろアウトプットを増やそうと思い、
ブログを始めることに決めた。
ブログをやる目的は、
いたってシンプルで大きく3つ。
1つは、独立して会社の肩書きもなくなったので、
自分の考えやアクティビティーを周囲に明らかにすることで、
自分が何者かを明らかにすること。
もう1つは、日々のインプット(行動から得られる経験、人との出会い、読書など)が
すごく増えているので、思考をアウトプットすることで自分に定着させること。
最後に、それを読んでくださる方へ少しでも還元することだ。
月並みの表現になってしまい恐縮だが、
実際、それが始めた理由。
という訳で、まず第一稿は、
「手放すということ」
をテーマを掲げてみた。
これは、僕が会社を辞めてみて、
最もリアルに感じていることの1つ。
会社を辞める、みたいな大きなことでなくても、
日常の自分に当てはめてみてもらえたら嬉しい。
僕は、端から見れば、
自分が持っていたものを、
この3ヶ月でたくさん手放したように思う。
会社という看板
それに伴う立場
仕事、与えられる業務
給料
人脈
それまで持っていた価値観
などなど挙げればたくさんある。
もちろん、それらを与えてくださった前職の会社はじめ、
支えてくださった周囲の方々、環境には感謝しかない。
それらがあって、今の僕がある。
で、手放してどうなったか?
結論から言うと、
いろいろ入ってきた(笑)
3ヶ月でこんなに??っていうくらい。
細かいことを言い始めるとキリがないけれど、
これまで出会わなかった様々な人と出会い、
これまで出会わなかった様々な情報と出会い、
これまで出会わなかった様々な機会と出会った。
そして何より、自分が意識的に、
これまでしなかった様々な選択をし、
これまでなかった経験(フィードバック)を得た。
その学びは、また次の新しい選択へと
自分を向かわせてくれる糧になる。
「手放す」ということは、
自らが主体的に再選択し続ける限り、
「変化する」ということとイコールだと学んだ。
実際、手放すことに対して不安がなかったかといえば、
正直言って、全くなかった(笑)
僕はもともと、今持っているものへの執着からは、
人生における真の喜びや成長は生まれないと考えてきた。
一緒にいる人
している仕事
もらっているお金
通っている場所
日常の中で、自分と共にあるのが当たり前と
多くの人が思い込んでいるそれらのもの。
人生の喜びや成長を最大化させるうえでは、
その瞬間、瞬間に、意識的にそれらを再選択する
ということがとても大事なのだと思う。
一瞬一瞬はとても小さく見える、
その1つひとつを人は「選択」と呼ぶのだろうし、
その積み重ねを「生き方」と呼び、
それはやがて「自分」そのものになる。
僕は、前職の会社に入社したから、
毎日出社していたわけではない。
ある日、会社に行ったから、
翌日も会社に行くわけではない。
毎日、出社することがベストだから、
出社していた。
たとえ同じ選択をするにしても、
握りしめているのか、再び持ち直すのか、
の違いは果てしなく大きい。
なんとなく、今を、今日を、日々を送っていると、
気づくと手の中に握りしめてしまって、
持っていることにさえ気づかなくなる。
それが一番怖い。
「受動的に生きている」と、
「能動的に生きる」との
違いでもあるように思うし、
言い換えれば、
大切なものを「失いたくない」という、
未来への恐れ・不安からくる過去への執着か。
大切なものを今、「ああ、大切だなあ」と感じ、
今それを大切にするという愛からくる今へのこだわりか。
常に持ちたいものを持ち続けられるように、
古いものを手放せる覚悟を持ちながら、
新しいものを手に取る好奇心を忘れずにいたいと思う。
あなたが今、何を握っているのか?
本当は手放したいものがあるのか?
そんなことを考えるきっかけになったら嬉しい。